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映画に埋もれて窒息したい

それでも人生は美しい

【考察】『思い出のマーニー』 ―自己否定と自己愛―

映画 アニメ ジブリ

賛否が分かれるジブリ映画と評判の

『思い出のマーニー』。

評価を見れば見るほど、どんなクソ映画なのかと期待して、観に行きました。

映画の日会社をサボ有給をとって)

 


「思い出のマーニー」劇場本予告映像 - YouTube

 

 

マーニーが登場するまでの、約40分。

 

ああ、ライ麦畑でつかまえて』の女性版だ…!

 

ノスタルジーと感動で震えておりました。

 

 

アンナという少女のリアリティ。

今回は、 そこに焦点を当てて考察してみたいと思います。

 

 

 

※以下、ネタバレを含む可能性があります。

※おおまかストーリーなどは割愛させていただきます。 

 

 

 

◆「ひとん家の臭いがする」

これに限らず、アンナのパンチある言葉は人目を引きます。

「メーメーうるさいヤギみたい」

「クマ…いや、トドかな」

「ふとっちょブタ!」

しかしながら、思春期である女の子の発言として最も共感できるのがこの「ひとん家の臭いがする」なのです。
そう言った後、アンナはすぐに窓を開けます。
昔その場所にいたはずの普通の子とその日常、そこでこれから自分が寝起きすること、これまでの生活……
色々な思いが渦巻くことで、彼女は自身と世界との間にすき間を感じ、それを不快に感じたのではないでしょうか。
少しでもその不快な「臭い」を取り去りたくて、彼女は窓を開けた。
 
これと似たような体験を、誰しもは1度は経験したことがあるのではないでしょうか。
幼いころ、
お盆休みに親戚の家で泊まった時、
友達の家へ招かれて遊びに行った時、
自分の日常と異なる生活の「臭い」あるいは「匂い」を感じる。
それに対して”不快”とは言わないまでも、"違和感"あるいは"疎外感"に近い感覚を抱いたことはありませんか。
 
この台詞は、
そんな「ひとん家の臭い」に紐付く感覚を、アンナを通して追体験させることにより、観客を作品へ入り込みやすくした大切な台詞であり、
観客にマーニーと出逢う準備をさせる重要なシーンであったと思います。
 
 

◆アンナの自己否定と自己愛

前半のアンナの一連の行動は、思春期に見られる自己否定、それに基づく他者への否定が顕著に現れており、アンナ自身は自分は他者と違う”輪の外の人間”だと思っています。しかしその考え自体はなんら特別なものではなく、ほとんどの人間が経てゆく思考なのです。
ただ、彼女が他者との間に距離を感じていることを考えると、アンナは周囲よりも早熟であったのでしょう。それは、複雑な家庭環境に由縁するかもしれませんが、アンナという人間自体は特別な人物ではなく、視聴者が等しく共感できる対象となっているには違いありません。
 
そして、マーニーと出逢ってからのアンナの行動もまた、思春期の女性で見られる同性愛的行動そのものなのです。
世間では同性愛っぽい描写とか百合だなんだと言われていますが
ほとんどの女性が思春期には同性愛的友情を育みます。
 
では、何故”ふとっちょブタ”ののぶ子ではダメで、マーニーに対してアンナは急速に心を開いていったのか。
諸説ありますが、ここでは心理的な側面から考察をしてみます。
 
思春期に親密になる友達の選び方として、自己投影と自己補完があります。
趣味嗜好が共通であったり、共に過ごす時間が多かったりすると、一気に心の距離が縮まることがあります。これは、自身に似ている人間を肯定することで、自身の存在を傷付けまいとしているためです。
また、逆に自分とは全く異なる性格や外見の人間と親しくなることがあります。これは、自身に足りない部分を他者に補わせることによって、自己をより完成された存在へ近づけようという意志の働きによります。
他者を肯定することで、自身のアイデンティティを肯定することに繋げる。
子どものままの心と、大人へと急に成長していく身体にバランスを失い、不安定なアイデンティティに揺れ、イラ立つ思春期に目立つ行動でもあります。
 
アンナは冒頭、そしてマーニーと出逢う直前に次のように言っています。
「私は私が嫌い」
これは、自分を好きになりたいという気持ちの裏返しでもあります。
 
そんな自己否定を続けるアンナの目の前に現れた少女マーニーは、ブロンドの長い髪、物怖じせず活発、明るくおしゃべり、裕福な家庭と、アンナとは対照的な存在です。
しかし、マーニーとアンナには共通点もありました。
アンナが自身について最もネガティブに捉えていたであろう部分、
青い瞳、
孤独、
彼女もまた ”輪の外の人間”であるとアンナは感じたのでしょう。
 
これらにより、アンナはマーニーに対して「自己投影」と「自己補完」の両方を行うことができました。 
アンナはマーニーと過ごす時間は自己を肯定し、補完することができる。
マーニーとといる時だけは、自分を愛することができる。
 
アンナにとって、マーニーは
自身の自己愛(エゴ)を肯定するためのかけがえのない存在だったからこそ、
いつも彼女を探していたのではないでしょうか。 
 

 

 
小難しく色々と書き連ねましたが、
この作品についての素直な感想は
 
大人になりかけていたあの頃
世界を否定し、自身を否定していた自分
苛立ち・不安・焦燥に満ち満ちていたあの頃の自分
そんな過去の自分に手を差し伸べ、寄り添う体験ができる素敵な作品です。
 

 

宮崎駿監督のような派手さはないけれど、

計算されたオーソドックスさが、高畑勲監督を彷彿とさせました。

 

今後の米林宏昌監督の作品が楽しみです。