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映画に埋もれて窒息したい

それでも人生は美しい

【考察】『セッション』-音楽による殴り合い-

映画 洋画

『セッション』はトレーラーの段階では、わざわざ劇場で観ずともDVDで事足りるかと思い、映画館で観るつもりはなかったのだが、

何度も上映期間が延長され、口コミでの評価が珍しく高かったので、これは早く観に行かなければと思い、本日やっと観る事ができた。
 
 
そして、私の期待は裏切られなかった。
音楽が題材なだけあり、劇場で見て良かったと思う。
自宅のAV機器ではあのドラムの音の違いは明確にわからないのではなかろうか。
 
 
以下、ネタバレを含むため、読む方にはご注意願いたい。
 
 
 
 
■現代における新しいスポ根の形
前半部は、冴えない感じの学生ドラマー・アンドリューが、鬼教授フィッチャーの目に留まり、師弟関係を築いていく様子が描かれており、よくあるスポ根モノのサクセスストーリーよろしくな展開で話が進んでいく。
アンドリューのドラムの音も、序盤と終盤では明らかに上達していることが、素人耳にもわかるようになっている。
鬼畜なスパルタ先生に叩き込まれるがまま、文字通り血と汗の滲む努力をする主人公を、観客が見守るような形である。
ここまでは定番中の定番で、はいはいまたこのパターンね、という心持で観られる。
 
しかし、フィッチャーの教え子が死に、アンドリューがコンテスト直前に犯したヘマが原因で主奏者を降ろされたところから、徐々に作品の本質が垣間見えるようになる。
退学したアンドリューが、大学を辞めさせられたフィッチャーと再会し、その胸の内が明かされる。
フィッチャーが語る理想は、もっともらしいが、現代においてはあまりにひとりよがりだ。
また、アンドリューも諦めきれない夢を再び追うため、フィッチャーのバンドに入る。フィッチャーを大学から追い出すことになったのは自分のせいでもあるのに、である。こちらもやはり自分勝手である。
 
成功者になりたいアンドリューも、
成功者を育てたいフィッチャーも、
エゴの塊なのだ。
二人のやり方は、現代の風潮とは掛け離れ、古風を通り越して滑稽に見せられている。
偉大なドラマーになるため、勝手に一人でで色々考えた結果、一方的に彼女を振ったアンドリュー。
素晴らしい奏者に育てたいが為に、異常な程のスパルタ教育を施した末、生徒を自殺に追いやってしまったフィッチャー。
二人とも、何ひとつ反省はしている様子はない。
それは自分たちが正しいと思っているからだというのが、バーでの再会のシーンで窺える。
 
しかし、2人の語る理想は最もである。
限界を超えられる者しか、成功者にはなれない。
自分の力量を自分で測ってしまう者も、相手の限界を勝手に決めてしまう者も、成功者にはなり得ない。
その理論は正しい。
 
しかし、現代において「限界を超える」というのはブラックな思想とされている。勿論、その理論も正しい。
 
滑稽さと正しさのパラドックスが、この作品には込められている。
 
 
■音楽という武器を使った殴り合い
この作品は、なんといってもラストシーンが一番の魅力である。
自分を大学から追い出したアンドリューに対して、セトリを変更することで演奏不能にして報復したフィッチャー。
その報復によりステージを降りたと思いきや、再びステージに戻って勝手な曲目を演奏し始めるアンドリュー。
つまり、やられたらやり返す、目には目を、ということだろうが、2人は殴り合いに等しい行為をステージ上で繰り広げる。
本番中に一体この2人は何をやっているのか。フェスの観客も、映画の観客も、そっちのけである。
あの2人は「良い演奏」をしようとしているわけではなく、意地、プライドの張り合いをしていたということが、ここでわかる。
アンドリューとフィッチャーが目指しているのは「最高の演奏」なんて高尚なものではない。
「偉大な自分」という身勝手な理想が彼らの夢であり、目指すところだったのである。
 
そんな風に観客を置いてけぼりで殴り合いを続ける2人。
しかし、殴り合いを通して2人は互いが似ていることに気づいていく。
アンドリューとフィッチャー、目的は同じ者同士、互いを理解し、認め合ったところで物語はフィニッシュする。
 
2人がその後成功したのか否かはこの映画上では描かれておらず、しなしながらそれこそがこの作品の本質を表しているのであろう。
この物語はサクセスストーリーではない。
エゴを他人に押し付ける、ないし自分の価値観を押し付けることの醜さ、滑稽さ、がこの映画の本質であり、
また、成功者への道は滑稽で身勝手で、幾多の矛盾を孕んだものであるという風な解釈を可能にしている。
 
 
 
 
 
私は基本的にはスポーツ根性モノは嫌いである。
綺麗事ばかり映し、勝者は正しいかのように描かれることが多いからだ。裏返せば、敗者は努力が足りないから敗者なのだ、ということだ。多角的視点を排他し、極端な価値観を押し付けてくる作品は、観てもほとんど刺激を受けられない。
そういう意味では、いくつかの戦争モノやアクションモノも苦手なのだが、話が逸れてしまう上に好みの問題でもあるので、それは置いておく。
 
 
要するに、過去のスポ根モノによくある
根性で頑張って成功!努力こそ正義!成功者は正義!
という押し付けがましい作品とは違い、この「セッション」という作品は、成功者が「悪」である可能性を提示している。
また同時に、努力と根性をいくら発揮したところで、成功者にはなり得ない可能性も提示しているのである。
 
この映画は、強いメッセージを持って描かれているが、結論は観た人に任せるという点で、非常に優れた作品であることは言うに足りない。
 
派手さはなく、地味な場所が続く割には、2時間退屈させることなく最後まで観せてくる点も素晴らしい。
 
 
これまでの価値観を根底から覆してくれるような、とても満足度の高い映画だった。
今後もこんな良い作品に出会いながら生きていきたいので、努力を惜しまず労働して映画館に足を運ぶお金と時間を作ろうと思う。